2012年02月09日(木)
コミュニケーション
こんにちは。大野秀樹です。例えば、不特定多数の人が集まるとして、自由な時間を過ごす時、どうしても、会話の弾む人、弾まない人が出てくるように、ダンスも楽しく踊れる人、踊れない人が出てきます。生理的な事を含みますから、仕方の無いことと思います。が、想像してみるに、もし、生理的な違和感が事前にあったとして、それでも双方が、ダンスというものを通じて楽しい時間を過ごしたいと願い、各々ダンスという共通項に働きかけをしたとしたら、ダンスは楽しく踊れるはずと思えてきます。また、会話やダンスに於いて、持ち合わせている知識や、話術、技術に差のある二人も同様に難しいですが、もし双方が、二人の共通事項に耳やこころを傾け、そこからお互いの未知への興味や理解を深めたいとし、努めたなら、やはり、会話もダンスも楽しい時間が過ごせるはずと、直観的に思います。只、このことは、実際には非常に難しく、声をひそめて静かにするか、勝手なことをうるさく話すだけに終わるのが常です。コミュニケーションというものが、実際は非常に微細なゆらぎに支えられていることは重要な事実です。ある音楽家は、かつて、リズムというものでコミュニケーションがされていたといいますから。