2012年09月27日(木)
曖昧模糊
こんにちは。大野秀樹です。散々色々書いている挙句になんなのですが、不特定多数の人が読むことを前提として、果たして自分が書いた文章が何か意味 があるのかは、全くの不明というところですが、自分個人のこととしては、自分の、普段より何気ない所で考えている事を、その緊張感で文章にしてみること は、自分に大変に影響を与えているらしいです。
先日、某新聞のコラムに、井上ひさしさんが、曖昧な表現を用いて事実やんわりと否定する若者 の言葉を「曖昧模糊語」と表現したことを用いて、野田首相の発表した原発ゼロ方針を閣議決定しなかったことを揶揄していましが、事実人間は、どれだけわか りづらく、曖昧を含む言語を用いたとしても、それを語る人間が、そこに明確な実行を求めている時は、その真意は汲み取ることができるからです。ちょうど言 葉の未熟な子供の想いを感じ取るように。しかし、やはり、野田首相の決定は、問題の回避ということになります。
このように、私達のしていることは、問題を表沙汰にすることの回避と、巧みに自己肯定、曖昧とする内の先送りばかりである事を、文章というものを通して自覚します。
そ れが無益で破滅的であることを知りながら、積み重ねてしまった歴史と経験で、同じ事を繰り返す。そして、真意は決して伝わらない事も同時ですから、野田さ んも嘆いているのかもしれません。このところ大変な悲しみの内にいて、悲しみが僕の肉や内臓を焼くのだなと感じています。