2013年02月28日(木)
ノウハウ
こんにちは。大野秀樹です。先日ふとテレビで、日本人は心配りが素晴らしく、親切だというようなことを外国人の目線で放送していました。他の国がどれほど親切でないのかは知りませんが、日本人が親切かどうかというのは甚だ疑問だという感じがしました。勿論親切ではないということを言っているのではありませんが、親切心や善意というのは大変に難しく、ほんの些細な作用で偽善に変わってしまいます。初めは、親切とも思わないで普通にしていた行為を、結果のもたらす良好さから、、そういう場面ではそのように振舞うべき、というように自分自身が解釈を始め、結果から期待出来ることを予測し始めるというような、所謂、商業の中で、ひとつのノウハウのようにされているものです。そういうものは、もはや親切ではなく、したたかな要求を隠し持つ親切に見える行為なだけだからです。寧ろ、その人のするべきところは、その人にさせるように余計な計らいをしなっかったり、声色を変えたり、顔を変形させただけの笑顔を振りまくことより、その人の仕事に対する誠意のみで接している人のほうが本当の親切心を発揮する機会も、信頼を得る機会もあるはずです。商業ということ自体が、たくさん物を売ってたくさんの利益を得ようとしているのですから、合意のうえでそれらが通常より多くされるのは、あからさまですし少しも嫌な気はしません。商売上手の商売人というものです。しかし、いかにも親切にしていますというような、わざわざ親切な行為を見せてくるのは、いかにも不快ですし、そうするように要求されたからするというようなものであれば、人間性すらを破壊するものだと思います。
ましてや、僕たちのような人にものを伝える仕事は、誇張された親切心は本当に人を駄目にし、不親切であるだけでなく、悪行にすらなります。物を造る仕事であれば、物を造るという本質的な情熱からは遠のくでしょう。
子供向けのテレビゲーム製作者が、子供を熱中させるには三つ条件があり、必ずゴールできるもので、ゲーム内で賞賛されるように計らうことだといっていました。後一つは忘れてしまいましたが、やはり言語化され、これがやり方ですのようになった瞬間、問題の大変さが浮き彫りになります。