2013年06月27日(木)
好き
こんにちは。大野秀樹です。 僕は本が好きで、移動の時など断続的にしか読めませんが、割合によく読みます。本をたくさん読んだからといって、妄信的に感性が豊かになるとか、賢くなるとか思っているわけではありませんが、到底自分ひとりでは手出しも出来ないような事柄を、体系的にまとめて知的興奮に触れる機会を与えてくれたり、体験することの無いような人生などを擬似的に感じたりできることは、やはり読んでいるのと読んでいないのとでは大きく違う気がします。
中学生までは、スポーツをするのに忙しく、というよりは読む気もしていなくて、年に課題図書一冊程度という状態でした。きっかけは、ゲンキンなもので、高校生の頃、当時好きだった子が本をよく読む子で、一緒に図書館についていき、その子が本を読んでいる姿がなんとも好きで、僕も本を読むふりをして、その子をずっと眺めていたりして、次第に少しづつ読み始めました。普段していないことというのは一から大変で、最初はどの本を選んで読むのかということにひどく苦労しました。今の僕が当時の僕に何かを言うのだとしたら、『何をバカなこといっているんだ。読みたい本を読めばいいじゃないか。」位の事ですが、その時は本当に全くわからなく、図書館や本屋で右往左往とし、結局、小学生か中学生が読むくらいの本しか読めず、少しづつたどたどしく読んでいったのを覚えています。実際本が好きという感覚が芽生えたのは大学生のときだったと思います。
今、ダンスの事重ねて思ってみても、不器用な僕は、最初はしどろもどろになりながら、楽しいとかそういう次元のことは思う暇もありませんでした。しかし、どこかの直感がダンスの魅力を嗅ぎ取っていて、それは、今思えば、ダンスするという中で体感する、様々な感覚や、知的興奮で人間の神秘に触れるものであったりすることなのだと思います。それら総じて好きという感覚は、未だに下手でもダンスをし続けていられる由縁と思います。社交ダンスが特別に素晴らしいと思っている訳ではありませんが、人の人生や、生命の神秘のようなものに直接触れるわけですから、やはり造詣に深く達していけば、社交ダンスはとても素晴らしいものと思います。