2013年08月01日(木)
一見、見かけの良い
こんにちは。大野秀樹です。時折電車で、おじいさんやおばあさんが孫を連れていて席がひとつだけ空いた時、ご自分が座るのではなく、子供を先に座らせるというシーンを見かけるのですが、見ているととても違和感を覚えます。僕には子供はいませんからどういう心理かはわかりませんが、恐らく僕であったら自分の孫や子供に、父、母、祖父、祖母を差し置いて座っていても平気な子供には育って欲しくない願いから、よほどの時以外は先に座らせたりはしないだろうと思います。
こういう顕れは実に様々な形で既に根付いていて、例えば先ほどの話も、子供はか弱い存在であるから大人が守らねばならないと誰かが言い出せば、一見尤もな話にも聞こえます。しかし、どのような人間、社会になって欲しいかによって、すべて話の出発点は違ってくるものです。近所のセブンイレブンの店員さんは、僕がものを売って貰ったことに対して、両手をお腹の前で重ねて深々とお辞儀をしたりするほどですし、どこかのお店に入っても、不自然なほどの笑顔とフレンドリーさと大きな声の対応であったりします。スポーツ選手が実に尤もらしく、自分を冷静に控えめに評価してみせ、次回に更に頑張ってみせることと、皆に応援してくれることを要求するというような、どこか見え透いた良い子の気取り方が違和感でなりません。
どこかで、自分に自信を持つことを止め、人に分かりやすく、自分が感謝していることを伝える振る舞いや、自分は元気で人生を楽しく生きているんだとかいう主張を始めているのかもしれません。
昔の長嶋選手のようなあっけらかんとした本音や、少し前のぶっきらぼうな野茂投手や、ずけずけと本音しか言わないイチロー選手や、自分のピッチングとチームの勝利のことしか興味のないこれもぶっきらぼうなダルビッシュ投手のような人の声の中に、実に人間味を感じます。