2013年08月29日(木)
聴覚
こんにちは。大野秀樹です。夏の終盤という雰囲気が季節より漂いはじめたという感じがしてきました。 この頃は、子供の頃の感覚が抜けないのか、妙に寂しさのような感情を覚えたりします。 この時期になっても時折、時間を忘れて取り残されたようにポツリと咲いている紫陽花を見かけることがありますが、みょうちくりんに感じながらも、何故かこころの深い場所の共感のようなものを誘ったりします。
先日、恐らく目が不自由であろう人を見かけました。見かけましたというよりは、もう少し近くで二言三言の会話を交わしたわけですが、驚いたことは、その方の聴覚への神経の鋭敏さです。視覚的に大変な量の注意力が耳付近に集中しているのが見えるのです。 まるでタンゴダンサーの脚部が、床の感触や、臭い、情感まで嗅ぎ分けているのが見えるように。 多分、気丈な性格もお持ちなのだと思いますが、室内に入るなり杖もたたまれて、人と会話を交わすときは、目ごと人に向けて相槌を打ったりされていました。
何よりも驚いたのは、姿勢の良さです。人間の平衡感覚は、耳の中にある三半規管が司っていると謂われていますと謂わんばかりに。頭の位置が背骨の上にすっと載り、腰掛けても曲がったりせずピンと伸びていました。中年の娘さんが付き添っていらっしゃいましたから、それなりのお歳であると思われますが。
何れにせよ、こうした経験を通じて思うのです。本当に人間が生きるということは、どの心で生きているかが姿かたちとなり、美しくも醜くもなり、他人より劣っている優っているでないところで、固有の個を懸命に生きさせることが重要なことなのでしょうと。