2019年02月25日(月)
ナチュラルターン談義
みなさま、こんにちは!あいこです
毎週月曜日はあいこの日!本日は41回目の更新です
今回はひさしぶりにダンスの話題にしようかなと思います
きょうの話題は
「当たり前ってむずかしい」
これは、最近のレッスンの中で私がよく感じることです
自分の中の常識が、生徒さんの中の常識じゃない。。
「当たり前」と思っている基盤がぜんぜん違う。。
この溝はよくよく考えないと気付かないところでもあるな〜と思います。
・・・
ダンス初心者の方にナチュラルターンを教えた時。
⚠️ナチュラルターンの最中にもうバランスが崩れてしまう。
⚠️ナチュラルターンはできても、次のステップに繋がらない。
という、(大変失礼な話ですが)
自分では「そんなこと、あり得ない」場面に遭遇。
私はダンスをはじめてまだ6年足らずですが、
とりあえずナチュラルターンは、数え切れないほどやりました。
だからこそ体の感覚的に当たり前になっているナチュラルターンで
失敗してしまう理由がわからない。
なぜそのようになってしまうのかわからなかったんです。
「ダンスはこういうものだ」という固定概念がない方は
いい意味でも悪い意味でも「なんでもあり」で踊りますから
「いい感じ」「悪い感じ」という共通認識もありません
こうしてしまうとなんとなくできそうにないでしょ?
って話も当たり前だけれど、できません。
だからこそ、
「先生、これはなぜこうなってしまいますか?」
「どうしてできないんだろう」と、聴かれた時。
0から100まで教えるのはすっごく難しいことでした
(※もちろんその時には自分の経験と感覚に訊ねてアドバイスを伝えましたが。。)
簡単なステップや動作でも、
言葉にできないというか、
「自分にとっては言葉にするまでもない」ことを
いかに掘り下げられるかって、
すっごく必要なことなんじゃないかと思ったんです。
もちろんダンスはうんちく大会とはワケが違いますが
例えばナチュラルターンをひとつの例に挙げたとして
どれくらい感覚的な、または理論的な説明をして、
語ることができるでしょうか?
または、
そこからどれくらい発展させて話ができるでしょう?
「ダンス」は基礎となるものや頂点は同じでも山の登り方が人それぞれに違うように、
目指し方・見え方は人それぞれだから、
「ナチュラルターン談義」をもし本気でやったなら十人十色の答えが返ってくるでしょうし、熱く語っているうちに、自分の信じるダンス論を片手に喧嘩になるかもしれません?笑
ただ、「ナチュラルターン」ひとつを
どれくらいの間、語っていられるか。というのは
正解・不正解は置いといて
その人のダンスの深さと繋がっている。と私は思います
もちろん体でできないと意味がないかもしれないけれど、
どれくらいの知識を持って、その知識をたった3カウントに注げるか。
って考えると、とってもアツいものが私の中に込み上げてきます?
そして色んな引き出しやボキャブラリーの中から
「言葉にできる。」
ってすごいことですよね
生徒さんのレッスンでまたひとつ学ばせてもらって以来、
ここ最近のシャドー練は、自問自答の繰り返しです
「言葉にするまでもない。」と思って
なんとなく自分の中で端折っていたところに限って
ちょっと変なことしてたり、
そもそも感覚が抜け落ちていたりと、
悪さをしている箇所でもありました。。
こりゃいかん。。と思いながらひとつひとつのステップを自分に問いまくり。
頭がパンクしそうになることもあるけれど
「気付いていないことに、気付く」
というのはこれくらいきっと神経巡らせないと気付かなさそう
まだまだ進化し続けるぞ〜〜がんばるぞ〜〜〜
それでは!
今週もパリッと元気に頑張りましょう